心の豊かさを求める「自律社会」へ〜ミャンマー高僧ウザナカ・セアロと探る「人間の真の変容」|自律社会と内発的イノベーションvol.1(前編)
自律社会と内発的イノベーション ――「人間の真の変容」から未来をひらく対話シリーズ
いま私たちは、効率や物質的な豊かさを最優先とする社会から、自分の価値観と信念に根ざして生きる社会へと大きな転換点を迎えています。これは、オムロン創業者・立石一真が提唱した未来予測理論「SINIC理論」が描いた、2025年以降の自律社会の姿そのものです。
2025年から2032年まで続くとされる「自律社会」の時代。そこでは、他者や社会の期待に応えるための外発的な努力ではなく、自らの内面と誠実に向き合い、自分らしい生き方を創造していく「人間の真の変容」が求められるといいます。
本対談企画「自律社会と内発的イノベーション」では、社会に真の変容を広げるべく、内なる変容を経て新たな価値を生み出す“内発的イノベーション”を起こしてきた実践者たちをゲストに招き、「自律社会に求められる真の変容」を対談を通して探っていきます。
記念すべき第1回目は、ミャンマーの高僧であるウザナカ師をお迎えし、仏教の世界から見た「真の変容」についてお話をうかがいました。
プロフィール

ゲスト:ウザナカ・セアロ
ミャンマー・ヤンゴン在住。チャッカレイ・ミンチャウン・パリヤティ・サーティンタィッ寺院にて活動を行う高僧。幼少期より仏教への強い信仰心を抱き、若くして僧侶の道を選ぶ。厳格な修行と深い学びを通じて、自身の精神性を高めると同時に、他者への奉仕を生きる目的としてきた。仏教経典に対する豊富な知識と瞑想の実践を備え、仏教の普及に力を注ぐ。次世代の僧侶の育成にも携わり、 同師の教えを受けた僧侶は1万人以上にのぼる。
正式名称はサヤドゥ・ザナカ・ワラ老師。
進行:李相烈
オムロン株式会社 技術知財本部 ピープル&カルチャープロデュースセンター
ヒューマンリソースマネジメントグループ 主査
オムロン株式会社入社後、技術&商品開発や新規事業開発を経て、現在は人財開発を担当。自社の創業者である立石一真らが提唱した「SINIC理論」に感銘を受け、その魅力を社内外に伝えるべく啓蒙活動を展開する。個人がより輝き、活躍できるような人事制度の設計と運用を行い、人事データを活用した施策の企画と実装を行っている。
案内人:松原明美
一般社団法人こころ館代表理事/博士(ソーシャル・イノベーション)
教育現場や企業での4000人以上のカウンセリングと大学院での研究をもとに、自分を深く知る自己認識メソッドを独自に開発し、自分のあり方を探究するBeingプログラム「わたし研究室」を開発。プログラムの受講者は国内外あわせて2万人を超える。自らの人生経験と20年以上にわたる独自のメンタリングセッションを通して「自分らしい生き方」や「本当に大切にしたいあり方」を見つけるサポートに取り組む。
こころ館ホームページ https://cocorokan.org/
本編映像(34分45秒)
進行:李相烈(オムロン株式会社)、松原明美(一般社団法人こころ館)
撮影・編集:高橋弘康(オムロン株式会社)
通訳:トゥン・ナイン・ウィン(NPO法人セアロ・グローバル・ハーモニー・ジャパン)
協力:立石一真 創業記念館
対談記事(前編)
李:本日は、特別ゲストとしてミャンマーからウザナカ・セアロをお迎えし、オムロン創業者・立石一真の創業記念館から番組をお届けします。
今回のテーマは、オムロン創業者である立石一真が提唱した未来予測理論「SINIC理論」における「人間の真の変容」です。SINIC理論では、2025年から「自律社会」に突入すると予測されており、物質的な豊かさではなく心の豊かさがより重視される時代へ移行すると言われています。そして立石一真は、この時代において人間が心の変容を遂げることが重要だと述べています。
今回はミャンマーの僧侶であるウザナカ・セアロをお迎えし、人間の真の変容とは何か、私たちはどう生き、社会とどう関わっていくべきか、仏教的な視点から深く掘り下げていきます。
ウザナカ・セアロと案内役の松原さんは以前からのご縁があり、今回の特別ゲストとしてご登壇いただける運びとなりました。

ウザナカ・セアロとの出会い
松原:ウザナカ・セアロとお出会いしたのは、もう20年も前になりますね。当時私は、ミャンマーやカンボジアで人道支援活動を行っており、貧困に苦しむ子供たちに自分らしさを育む絵本を制作・配布する活動をしていました。
その活動を通してご縁をいただいたのが、ミャンマー各地のお坊様たちです。ミャンマーでは、お坊様たちが地域のインフラ整備や学校の建設・村人の雇用の創出など、まるでイノベーターのような活動をされていたんです。
印象に残っているのが、お坊様たちが「地域の課題は人々の心から始まる」とおっしゃっていたこと。その言葉を聞いて、よい地域をつくるには、表面的な課題ではなく、人々の心に目を向けて心の育成から始めることが大事であることを学びました。ウザナカ・セアロは、その時に出会ったセアロ(ミャンマーでの高僧の敬称)のおひとりです。
私はセアロたちに深く感銘を受け、日本でもよりよい社会を築くためには、まず一人ひとりの心の変化からだと考えるようになりました。そして、「人の内面から変革を起こして、自らの信念や価値観に基づいて行動する人を増やそう。そんな人が増えたら、より良い社会が生まれるに違いない」と思い、現在はそうした変革を「内発的イノベーション」と名付けて普及活動を行っています。
そして今日を迎えるので、こうしてウザナカ・セアロを招聘してお話を伺えることをとても感慨深く、嬉しく思っております。

ミャンマー高僧としての日常
李:ウザナカ・セアロは普段どのような活動をしておられるのでしょうか?
ウザナカ:教育や社会活動、地域の住民支援、お寺の訪問者の対応など、さまざまな活動を行っています。仏教の教えに基づいた「生き方」や「心の在り方」を伝えたり、お釈迦様の教えをもとに、小坊主や若い僧侶たちに向けて、朝から晩まで説法と指導を行っています。
ミャンマーでは国民の約9割が仏教を信仰しており、僧侶は人々から尊敬される立場にあります。しかし、尊敬を受けるためには、正しい方法や形式を身につけることが不可欠となります。私は4つの寺院を管理しており、定期的に巡回して若い僧侶たちの教育や指導に取り組んでいます。

生き方を通して仏法を体現する
李:若い僧侶たちを教育する際には、どのようなことを伝えておられるのですか?
ウザナカ:僧侶はお釈迦様の教えを深く学び、正しく理解する必要があります。 教えを正しく習得できていなければ、誤った考えが広まり、社会に混乱を招くことにもなりかねません。
信仰心を持つ方が寺院を訪れたとき、その人の人生にとって少しでも役立つ言葉を伝えることが私たちの役割のひとつですが、もし僧侶が誤った教えを伝えてしまえば、誤った考えを持つ人を生み、さらには社会全体にも悪影響を与えてしまうでしょう。僧侶の責任は非常に重大です。
そして、僧侶にとって大切なのは、立派な話をすることではなく、自らを律し、その生き方そのもので教えを示すことです。言葉だけで教えを伝えようとするのは十分ではありません。日々の姿勢や行いを通して仏の教えを実践することで、生き方を通して仏法の真髄を示すことができるようになるのです。人に教えを説く前に、まず自分自身を確立しなければなりません。
松原:教えを伝える存在であるからこそ、まずは自分を確立するのですね。
ウザナカ:その通りです。自分自身がどのような人間であるのかを深く学び、修行を積むことが何よりも重要です。まずは、自らを正しく自律すること。それが、仏の教えを実践し、人々に示す僧侶の本分なのです。

自律社会と内発的イノベーション
李:本日のキーワードのひとつである「自律」が出てきましたね。
オムロンでは創業者たちが未来予測理論「SINIC理論」を提唱しており、その中で「自律社会」というものが定義されています。2025年から自律社会を迎えると予測されており、この社会の中では「心と集団を中心とした価値観に基づき、自律分散型の社会が形成される」と予測されています。
李:自律社会では物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさがより重視されるようになってくる時代を超えます。つまり自律社会では、心の豊かさが大きな価値となってきます。この時代においては、心に寄り添ったテクノロジーが発達すると言われており、テクノロジーが発達するこの時代だからこそ立石一真は「人々は内発的動機に基づき、真の変容を遂げるべきだ」と。
そして、この真の変容を遂げた人を「自律的に、利他の心を持って全体最適の価値観を持って行動する人」と定義しています。
先ほどお話を伺ったミャンマーの僧侶たちの活動や、その活動を通して研究した松原さんの「内発的イノベーション」の研究にも通じるものがあると思っています。そこで、「自律社会で真の変容を遂げる必要がある」という点についていろいろお話を伺えたらと思い、この場を設けました。
松原:「真の変容」という考え方に、私もとても共感します。立石一真さんが提唱された真の変容は、まさしく私のいう「内発的イノベーション」を起こしている人だと思っています。
内発的イノベーションでは、「自分が何者か」「自分が何を成し遂げたいのか」という問いを深め、自分自身の価値観や生き方をアップデートすることを重要視しています。内側からイノベーションを起こしていくことで、人が内発的・自律的に、自分軸で行動しながら利他性が生まれてきて、結果的により良い社会が生まれると思っています。

仏教に学ぶ真の変容:「執着」と向き合う
松原:ウザナカ・セアロからお伺いしてきた仏教の教えで「執着を手放す」というものがありました。私はこれが真の変容を起こす人にとって大切なのではないかと思っていますが、お考えをお聞かせいただけますか?
ウザナカ:私たちは「執着を手放す」という言葉に、とらわれすぎてはいないでしょうか。執着を手放そうと必死になるあまり、「手放さなければならない」という思いに縛られ、かえって苦しんでしまうことがあります。
それは、自由を求めながらも、自ら檻を作り出してしまう動物のようなものです。
本当に執着を手放すとは、その考えすらも手放し、心が自然に解放されることなのです。

ウザナカ:しかし、すべての執着が悪いわけではありません。
たとえば、オムロンの創業者のように、「世の中のためになることが、自分のためにもなる」という執着は、前向きなエネルギーとなり得る良い執着です。
問題なのは、自分の都合だけを優先する、間違った執着を持つことです。単なる欲望に基づいた執着は、相手の人生や幸せを考えることはありません。そのような一方的な執着に囚われている限り、心は決して自由になれません。
もしその執着が、自分にとって苦しみを伴わないのであれば、無理に手放す必要はありません。しかし、それによって自分が苦しみ、犠牲になっているのであれば、執着し続ける意味はあるのでしょうか。

松原:そもそも「いかに自分が執着しているか」に気づかなければ、手放すことができないですよね。
ウザナカ:その通りです。まずは、自分が執着していることを自覚することが大切です。気づいただけでも、すでに変容は始まっています。「もしかしたら自分は間違っているのではないか」と思えた瞬間、それまでの自分の考えに変化が生じているのです。
自分の執着が深いと感じたときは、その気持ちに縛られるのではなく、その裏側にある本当の気持ちに目を向けてみてください。気づきを放置せず、自分自身と向き合い続けることが、真の変容への第一歩となるのではないでしょうか。(続く)

後編に続きます
後編のレポートでは、自律・利他・慈悲の関係性について、仏教的な観点からウザナカ・セアロに解説していただいた内容をお届けします(本編映像の22:42以降に対応)。引き続きお楽しみください。
本記事は、一般社団法人こころ館のnoteより転載したものです。
元の記事:https://note.com/cocorokan_now/n/nde9bea4db4f5