ミャンマー高僧が語る「自律・利他・慈悲」|自律社会と内発的イノベーションvol.1(後編)

自律社会と内発的イノベーション ――「人間の真の変容」から未来をひらく対話シリーズ

オムロン創業者・立石一真らが未来予測理論「SINIC理論」のなかで2025年から2032年まで続くと予測した「自律社会」。効率や物質的な豊かさを最優先とする社会から、自分の価値観と信念に根ざして生きる社会へと大きな転換点を迎えるなか、私たちはいかに「真の変容」を遂げていくべきなのでしょうか。
本企画「自律社会と内発的イノベーション」では、自らの内なる変容を経て世の中に新たな価値を生み出す“内発的イノベーション”を起こしてきた実践者たちをゲストに招き、「自律社会に求められる真の変容とは何か?」を探っていきます。

今回は、前編に続き、「心の豊かさを求める『自律社会』へ〜ミャンマー高僧ウザナカ・セアロと探る『人間の真の変容』」のレポートをお届けします。

ゲスト紹介:ウザナカ・セアロ

ミャンマー・ヤンゴン在住。チャッカレイ・ミンチャウン・パリヤティ・サーティンタィッ寺院にて活動を行う高僧。幼少期より仏教への強い信仰心を抱き、若くして僧侶の道を選ぶ。厳格な修行と深い学びを通じて、自身の精神性を高めると同時に、他者への奉仕を生きる目的としてきた。仏教経典に対する豊富な知識と瞑想の実践を備え、仏教の普及に力を注ぐ。次世代の僧侶の育成にも携わり、 同師の教えを受けた僧侶は1万人以上にのぼる。
正式名称はサヤドゥ・ザナカ・ワラ老師。

本編映像(34分45秒)

進行:李相烈(オムロン株式会社)、松原明美(一般社団法人こころ館)
撮影・編集:高橋弘康(オムロン株式会社)
通訳:トゥン・ナイン・ウィン(NPO法人セアロ・グローバル・ハーモニー・ジャパン)
協力:立石一真 創業記念館

後編のレポートは、本編映像の22:42以降の内容を抜粋・再編成してお届けします。対談の完全ノーカット版は、ぜひ本編映像をご覧ください。

対談記事(後編)

仏教における「自律」とは

松原:自律社会では「自分で考え、自分で判断して動くこと」、つまり「人々が自律的に生きること」が大切だと、SINIC理論の提唱者である立石一真さんは仰っています。仏教ではこの「自律」をどのように説いているのか、ウザナカ・セアロにお伺いしたいです。

ウザナカ:とても良い質問ですね。
実は、お釈迦様も同じことを説かれています。仏教は実践しなければ何も得られない宗教です。そのため、宗教の中でも特に難しいと言われています。たとえば、祈ることで救いや導きを求める宗教もありますが、仏教ではお願いをするだけでは何も叶わないと考えます。大切なのは、教えを学び、それを実践することです。そうすることで、はじめて自分の道が開け、願いが現実となるのです。

つまり、仏教における「自律」とは、教えをもとに自らが実践を行い、自分の道を切り拓いていくことですね。

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ウザナカ:私が日本に来るのはこれで3〜4回目になりますが、以前日本に来た時に神社について学ぶ機会がありました。日本の神社では、多くの人が手を合わせてお参りをしますよね。しかし、ミャンマーのように仏像があるわけではありません。神社には丸い鏡が置かれており、人々はその鏡に向かって手を合わせています。鏡には自分の姿が映ります。
つまり、自分自身に対して手を合わせ、祈っているのです。

これは、「願いを叶えるのは結局のところ自分自身である」という考え方につながります。どれだけ願っても、自分が変わらなければ何も変わりません。自分が変われば、周りも変わり、やがて社会全体も変わっていく。しかし、自分が変わらなければ、周りも変わらず、社会も停滞したままなのです。
本当の変化を起こすには、まず自分自身が変わること。それがすべての始まりなのです。

李:まさに真の変容と内発的イノベーションのお話ですね。

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自己犠牲と利他の違い

松原:「真の変容を遂げるためには、利他の精神が大切である」と立石さんも仰っていますが、時には人を助けたいという気持ちで行動することで、自分を犠牲にしすぎてしまうことがあると思います。
自己犠牲と利他の関係についてお聞かせください。

ウザナカ:利他の行動が自己犠牲につながってしまうのは、「利他」という言葉の意味を表面的に捉えているからです。
本来の利他とは、「この行いが自分の喜びになる」と心から思えることが大切です。しかし、「これは利他の精神だから、自分が犠牲になっても仕方ない」と考えてしまうと、それはただの自己犠牲になってしまいます。

もし、自分が犠牲になっても本当に喜べるのであれば、それも一つの道かもしれません。しかし、そうでない場合、形だけの実践になってしまい、結果として心が苦しくなることもあります。利他とは、無理をして自己を犠牲にすることではなく、自分の喜びと調和した行動であるべきなのです。

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利他は自律からはじまる

松原:「人のため」という気持ちだけでは、自己犠牲になってしまうということですね。
仏教では、自分自身が利他的な行いを喜べる状態を「自利利他」というと伺いました。利他だけではなく、自利がある。人の役に立つことが私の喜びである。この両方がつながらなければいけないと。

ウザナカ:その通りです。「自利利他」とは、自分自身が成長し、自律した上で、他者のために行動することです。 つまり、自分の喜びと人の幸せがつながることで、利他的な行いも自然と続けられるということです。
自分を確立できていなければ、他者のために行動することはできません。もし、自分が確立していない不安定な状態で利他的な行動をしようとすると、自己犠牲になってしまいます。

松原:いかに自分が自律しているかが基礎になると。

ウザナカ:究極は、もし相手に裏切られたとしても、「自分は裏切られた」と捉えるのか、それとも「その人が幸せでうまくいけばいい」と思えるのか。それが、自律に基づく利他かどうかの違いではないでしょうか。

松原:利他は奥が深いですね…。

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利他の精神を体現する会社「オムロン」

ウザナカ:撮影前に創業記念館を見学し、オムロンの創業者がいかに利他の精神を実践してきたかを改めて知りました。その生き方を学べば、利他とは何か、その答えが自然と見えてくるのではないでしょうか。

彼は自分の健康のためではなく、誰もが家庭で簡単に病気を発見できるようにと尽力しました。それこそが、真の利他の精神です。 彼が利他の精神を持って社会に貢献し続けた結果、オムロンは成長し、世界中の人々の健康を支える企業へと発展しました。これはまさに「自利利他」の実践です。他者を思い、社会に貢献することで、結果的に企業も繁栄し、多くの社員が支え合いながら働く環境が生まれたのです。

もし、自己中心的に「自分の利益」だけを追求していたら、このような企業成長はなかったでしょう。優れた製品も生まれず、社員にも恵まれず、社会への貢献もできなかったはずです。

李:オムロン社員として、とても嬉しいです。
この対談の背景にある「最もよく人を幸福にする人が、最もよく幸福になる」という言葉。こちらはオムロン創業者の立石一真の言葉ですが、ミャンマーのお坊様は、地域社会において学校を運営したり、貧しい人々を支援したりすると聞いており、この言葉はミャンマー僧侶の活動にもつながるのではと思いました。

ウザナカ:「最もよく人を幸福にする人が、最もよく幸福になる」。まさにその通りだと思います。幸せとは、まるで波紋のように広がり、人から人へと伝わっていくものです。

だからこそ、大切なのは、いかにして「人を幸福にする人」を増やしていくかということ。たとえば、企業において社員が利他の心を持って働けば、その幸せは家族へと波及し、やがて地域社会へと広がっていきます。そして、人を幸せにすることを続けるうちに、自らも深い充実感や喜びを得ることができるのではないでしょうか。

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慈悲について

松原:それでは、最後の質問です。
仏教でよく「慈悲」という言葉を聞きますが、私たち日本人にはなじみのない言葉なので、その意味合いを教えていただきたいです。

ウザナカ:「慈悲」という言葉は難しく感じるかもしれませんが、実は特別なものではありません。
たとえば、「この人が忙しくて大変そうだから手伝ってあげよう」という気持ち。これは、誰の心の中にも自然に生まれる慈悲の心です。皆さんが日常的に行っていることなのに、それを特別なものとして捉えるから、難しく感じるだけなのです。

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また、慈悲の心は「怒り方」にも表れます。愛のある怒り方と、理不尽な怒り方があるのです。愛のある怒り方は、相手が成長し、自律し、貢献できる人になるための指導です。思いやりを持って指導や教育をすることで、相手もその愛を感じ、喜びが生まれます。

しかし、中には自分の感情をぶつけるためだけに暴言を吐いたり、相手を傷つけたりする人もいます。それは慈悲ではなく、ただの自己中心的な行為です。理不尽に怒られた人は、その相手に対して従おうとは思いません。むしろ、怒りや恨みの感情が生まれ、慈悲とは正反対の結果になってしまうのです。

松原:つまり、利他の精神を生み出すには、慈悲の実践が大事だということですね。

ウザナカ:その通りです。思いやりがあるからこそ慈悲が生まれ、慈悲を実践することでさらに深い思いやりが育まれる。この二つは切り離せません。

たとえば、「助けたい」という気持ち(思いやり)があるからこそ、実際に手を差し伸べる行動(慈悲)につながります。そして、その経験を重ねることで、より深い思いやりの心が育まれていきます。
しかし、本当の慈悲がなければ、都合の悪いときに他人を蹴落としたり、誰かを犠牲にしてしまうこともあります。それは「悪い慈悲」とも言えるものです。

だからこそ、自分の行いが「良い慈悲」なのか、「悪い慈悲」になっていないかを見極めることが大切です。自己満足ではなく、相手を本当に思いやる行動を続けることで、正しい利他の実践が生まれるのではないでしょうか。

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松原:行いに損得勘定が入ったら、それは慈悲ではないということですね。やはり慈悲と利他は密接に関係していますね。

李:「執着を手放す」も含めて、私利私欲がない形なのですね。

ウザナカ:私欲というものは、完全になくせるものではなく、常に湧き出てくるものです。大切なのは、それをなくそうとするのではなく、どうすれば良い方向に活かせるかを考えることです。

李:オムロンの血圧計も、結局は「私欲」から始まったものですよね。

ウザナカ:ただの優しさや同情ではなく、相手の苦しみを和らげ、取り除くために、深い思いやりをもって接し、慈しみ愛すること。それが慈悲です。

松原:この時間では語り切れないテーマですね。実践しながら味わってみます。

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ウザナカ・セアロから日本の皆様へ

李:最後に、ウザナカ・セアロから番組をご覧の日本の皆さまに何かメッセージをいただければと思っております。

ウザナカ:大切なのは、思いやりと愛を持つこと。
人を評価するのではなく、まず自分と向き合うこと。
相手を嫌うのではなく、許すこと。
そして、慈悲の心を持ち続けることです。

人生には、つらい時もあれば、悲しい時も、嬉しい時もあります。悲しみはただ悲しみとして、苦しみはただ苦しみとして受け入れる。それを無理に否定せず、「どう乗り越えていくか」を考えることが大切です。
「相手が悪い」と誰かを責めるのではなく、まず自分自身と向き合ってみること。そうすれば、見える景色が変わるかもしれません。

そして、慈悲の心を大切にするとは、損得ではなく、人への深い思いやりを育むこと。慈悲という言葉を特別なものとして重く受け止めるのではなく、日常の中で自然と使えるものにすることも大切です。
そうすることで、あなたの思いやりが周囲に広がり、会社や社会にも良い影響を与えるでしょう。
もしかすると、あなたの姿を見た誰かが、その心を学び、見様見真似で実践し始めるかもしれません。

どんな時も、慈悲の心を忘れずに歩み続けること。
それが、あなた自身の人生を豊かにし、周りの世界をも優しく照らしていくのではないでしょうか。

松原:ウザナカ・セアロ、ありがとうございます。

李:本日はウザナカ・セアロを創業記念館にお呼びして、SINIC理論でいうところの「真の変容」、そして松原さんが提唱している「内発的イノベーション」に焦点を当てて、いろいろなお話を伺いました。本当にありがとうございました。

ウザナカ:私も貴重な経験になりました。創業者の方の想いも知ることができて嬉しかったです。会社のさらなるご発展をお祈りしています。
ありがとうございました。

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対談を終えて

ウザナカ・セアロの一言一言に、心の深い部分を揺さぶられました。創業者の利他の精神に触れていただけたことに感謝すると同時に、「社会的課題の解決/ソーシャルニーズの創造」というオムロンのビジョンの根底には、「自利利他」の精神があること、必要であることを改めて認識しました。誰かのためを思うには、まず自分自身と真摯に向き合い、自律することが不可欠だというメッセージを、ウザナカ・セアロの言葉から強く感じました。自律社会における人間の要件について、今後も研究を続けていきたいと思います。(李)

自分の内面と誠実に向き合い、自らの価値観に基づいて生きること。その積み重ねが、社会に静かな、けれど確かな変容をもたらしていく――本対談を通して、その可能性にふれることができたのではないでしょうか。
今回の対話は、その第一歩にすぎません。本シリーズでは今後も、自らの内面から変容を遂げた実践者たちをお迎えし、「内発的イノベーション」がもたらす未来の可能性をともに探っていきます。
ぜひ、本編映像もあわせてご覧いただき、「自律社会」の時代をどう生きるか、心静かに問い直す時間としていただければ幸いです。(松原)

本記事は、一般社団法人こころ館のnoteより転載したものです。
元の記事:https://note.com/cocorokan_now/n/n89c057db4d32

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